福島に行ってきた。2016夏

震災からおよそ5年と5ヶ月、震災前も震災後も一度も行ったことなかった福島県に行ってきた。てか、東北地方に行ったことなかった。

震災のこと、原発のこと、海外でも、もちろん国内にいても話題になることがあったけど、結局行ったこともないし、情報はテレビだとか、ひとから聞くことだけだし。現状どうなのか実際よくわかんないままだった。なにかするわけでもないけど、まずは知ること。自分の目で見て感じることかなと。不謹慎だとも思われるだろうけどー、とりあえず行ってきた。

ルート

東京から常磐道で北上してって、常磐富岡ICで高速降りて、国道6号で途中『かしまの一本松』に寄って相馬市まで。それから国道115号線で福島市へ向かった。

福島駅から程近いとこ、カレー屋”笑夢”(エム)でお昼にカレー食べて、五色沼へ。それから東北道で東京に帰った。日帰り770キロ。

レンタカー借りる。

朝5時前に、宮下公園のとこのジャパンレンタカーで日産ノートを借りた。深夜12時までで6,000円弱だった。数年前と比べるとだいぶ安くなってるよーな。キレーだし。もちろんETCもついてるしー。ここ24時間営業だしー。

朝から渋滞とか避けたいし首都高に乗った、高樹町から乗った。いや、首都高の料金なかなか高いな…。調子よく首都圏から抜けれたしよしやね。上り車線はめーっちゃ渋滞してたけど。首都高から常磐道へ。

北上する。

お盆前だし、渋滞もなくどんどん北へ、北へ。そんで朝9時前には常磐富岡ICを降りた。

常磐富岡ICを降りる数キロ前で、真っ黒のトン袋が大量に並べられているのが見えた。かなりの量があった。2、3段に重ねられてて数万袋はあったように見えた。あれも線量がある土壌とか、瓦礫なのかな。

帰還困難区域

インターを降りてから県道36号線で国道6号線へ。すれ違う車は大型ダンプや作業の方が乗った車両だけだった。路肩でスクリーニングが行われ、”帰還困難区域につき通行止め”との看板がいくつもあった。点在する民家のひとつの前に、”除染作業中”のノボリが数本あげられ、屋根に登って除染作業が行われていた。県道からの脇道には入れないようバリケードが敷設してある。作業員、警備員の方など見かける人は男性だけ。両側に広がる田畑には雑草が生い茂り、手つかずの状態。

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国道6号線に入る。幹線道路ということもあって、両側には民家、店舗の建物が並んでいたがどれもバリケードで封鎖されていた。車が停められたままの家もあった。ほとんどの看板、店舗はそのまんま。セブンイレブンは看板も外され、ベニア板で覆われていた、なんでやろ。それと、幸楽苑の看板がすごいキレイで不自然だった、もちろん営業してなかったけど。5年以上ほっといてもキレーなもんなんだな。ここでもすれ違う車は除染や復旧工事に関わる車両ばかり。

しばらくはこんな様子がつづく。浪江町かな?ローソンが1店舗だけ営業していた。お客さんは作業員の方ばかりのよう。そこからもしばらくは、店舗も民家も封鎖されていた。南相馬にはいってからかな?田んぼでお米作ってあるみたいだし、畑で野菜もつくってあった。多くはないけど一般の車ともすれ違うようになった。セブンイレブンがあって寄ってみた。お客さんのなかに近所の方らしき子供連れのお母さんがいらっしゃったり。このあたりに来ると雰囲気もここまでとかなり違った。でも、ここに暮らす人の気持ちのなかにはいつも隣のまちのこと、放射能のことがあるんだろうな。

かしまの一本松

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さらに国道6号線を北上していく。路肩に”鹿島の一本松”の看板が出てくる。看板に従い4キロほど海岸の方へ走る。遠くまで見渡せる開けた道、田畑が広がり民家が点在する。民家はどれも震災後に立て直されたもののようだった。一本松が見えてくる。周りには高さのあるものは何もない。遠く海岸沿いでは大規模な防波堤の敷設工事が進められている。大型ダンプが往来する。工事に関する看板と一緒に、この辺りの震災前の航空写真と震災後の航空写真が掲示されていた。以前は数十件の民家と松林があったようだ。今ではこの一本の松の木だけが残っている。一切、建物があった形跡は残っていない。ここで多くの人が命を落としたはず。

福島市内へ

それから、もう少し北上して内陸部にある福島県に向かう。福島県は内陸部と沿岸部を隔てるように阿武隈高地という一帯がある。この地域を東から西へ横断する国道115号線を通った。道中に、建築途中の自動車道が見えた。災害時のライフラインのためとの看板が掲げられてた。んー。1時間ほどで福島市内に着いたかな。

カレー屋”笑夢”

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福島へ来たひとつの理由でもあるんやけど、福島市内にあるカレー屋さん。福島駅から500メートルくらいかな。商店とか銀行とか集まってるところにある。黄色い看板で店舗は階段上がった2階にある。到着したのはお昼12時をまわったころ。すでに3組待ってて賑わってた。仕事のお昼で来てる人多かったな。さわやかで男前なスタッフさん3人で営業してあった。おしゃれで清潔感のある店内。レジ前のフライヤーも面白そうなイベントのものが並んでた。旅に関する書籍が置いてあったり、たのしそ。おいしかったです。ぜひ。

五色沼へ

福島市内からさらに内陸の方へ向かう。1時間半くらいかな。高速乗ったけど東北道の郡山JCT手前で渋滞、理由はよくわからんかったけど。

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五色沼は東西に3.7キロほど延びる沼が点在する一帯のことをいうらしい。沼によって色が違う。エメラルドグリーンだったり、白っぽい青みたいやったり。沼の周りが赤っぽくなってたり。遠藤現夢(えんどうげんむ)さんが松とかの苗を植林しまくって面倒見て荒れていたこのあたりの土地を治めたそう。10万本の苗木を植林したとか。五色沼の探勝路からちょっと入ったところに遠藤現夢さんのお墓があるからそこに手を合わせに行った。

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東西に延びていてどっちから入ってもいいし、往復してもいいと思うけど、オススメは東側に車を停めてから、バスで西側の入り口まで行って、西側から東側の駐車場に向けて探勝路を歩いていくってやつかな。それは、この探勝路東から西に上り勾配があるから。どっちからでもおけ。バスはあんまり本数多くない。片道250円。東側の入り口は”五色沼入口”、西側の入り口は”裏磐梯高原駅”ってバス停。

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探勝路は舗装された道じゃなくってゴツゴツした石でぼこぼこしてる道。でもスニーカーでもサンダルでも余裕だな。途中木道があったり。よく整備されてる。観光に来ているひとがまあまあいて、何組もすれ違った。写真撮ってもらったり。蚊が多かったな。それと沼って魚おらんのかな?みつけれんかった。

東京へ

帰りは渋滞もなくスムーズに帰れた。ただ、渋谷に着いたのが21:30過ぎで近くのエネオスが閉まってて、高樹町あたりのガソリンスタンドに行って給油。そんで渋滞にはまって車返却したのは22:00過ぎになった。

思うこと

震災後、機会がなかったわけではなかったけど、結局行かずに5年以上経っていた。行ったから何ができるわけでもないし、何をするわけでもない。月日が経ちあの時の雰囲気とは全く違うんだろうけど、いまだに除染作業が行われていてその作業、作業する人たちをみたことで震災でおきたこと、放射線との戦いというか、これから何千年?何万年かな?続いていくことに実感をすることができた。少なからず目にする前よりもはっきりとね。

月日が経てばだんだんと忘れられていくんだろうし、離れているほど気にならなくなるんだろうな。誰かが決めた境界線の中では生活することもできないんだなー。原電から20キロほど離れたところでは田んぼでお米つくってるし、コンビニで親子が買い物してる。200キロ離れた東京では忘れたようにみんな生活してるような気がするし。海を渡ったところでは他人事みたいに聞こえるし。んー、何が言いたいのかようわからんくなってきたけど、とりあえず、日本という同じ国、同じ地球の上でおきていることなんだと。だからといってどうするべきだとか、どうするってわけでもない。何もしてないし、これから何か行動していくわけでもないけど、よりリアルに知ったんだ。ってこと、それだけ。

放射能の影響って実際にどうなんだろ。テレビも新聞もよくわからんし、FaceBookとかでかいてあることも正直どうなんかなって感じ。知識不足やし、情報もそれほど気にかけずに過ごしてきたしな。

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